【2021年2月22日】あの日からちょうど1年が過ぎた。僕と波多野菜央 が呼ぶ「空白の1年」。1年前の2月22日に2nd AL 「直」を引っ提げてレコ発ワンマンコンサートを行ったあの日。その日を境に未曾有のウィルスが世界をどん底に叩き落し多くの人からいろんなものを奪った。その失意のどん底の心情は以前のコラムで書いた。そして最後に「波多野菜央の歌に賞味期限はない、LIVEができるようになったら「直」に皆さんに届けよう。それまで空っぽになった感性を満腹にしておいてくれ僕らはあの日見た夢の先へ行くのだから。」と結んだ。そして待ち受けていた運命でもあるかのように運命とお仕事が結び付いた。バーチャル農林水産まつり北九州の応援ソングを書かせていただいたのだ。曲名は「太陽」。「じっと太陽を見上げ根を張った花は、素敵な色でしょうきっとすぐそこ」何とも胸がぎゅっとなる歌詞ではないか。よどんだ停滞感に降り注ぐ希望の光たらんと波多野菜央が揚々と歌う。この1年で波多野菜央 自身も素晴らしいシンガーソングライターに成長してくれた。まさに様々な思いが胸中をめぐる。そして「太陽」の配信販売も決定した。配信開始は準備が整い次第すぐに。3月の上旬に間に合わせたい。パンドラの箱の最後の希望の光が波多野菜央であると僕は信じている。
【あの日見た夢の先へ】
久しぶりの更新 いつもアーティストに「原稿書け!記事書け!曲書け!」という割に自分は中々更新してないことに気が付いた。8月28日は誕生日でもあるのでしっかり総括的な事をしたためさせていただきます。波多野菜央と二人三脚を始めて2年正確にはもう少し前からだがキリのいいところで。 デビューアルバム制作に入る前に彼女に3年計画を提示した。で 5年後の展望までのイメージをも話した。その方針に沿って僕らは走った。日本のみならず世界のTOPプレイヤーとお仕事させていただいた経験と業界の最前線で働いていたノウハウを素にプロデュースやマネージメントをさせていただいた。いつも波多野菜央が言うように「二人三脚」で。成果は目を見張るものがあった。その成長たるや皆様も各方面で体験実感済だろう。ところがだ。恐ろしく順調に進んでいる時にはどこがでどんでん返しが潜んでいる。
2月22日のワンマン辺りからその影は姿を現しはじめ、あっという間に全てを飲み込んだ。計画は全てとん挫し、スケジュールは全て白紙化した。誰が悪いわけではない。あえて悪者を上げるとすればそれは「人間・人類」なのだろう。
途方に暮れた。頭が真っ白になった。ビジネス的にも大きな痛手を被った。いったん計画を白紙にし経験値をゼロにしなければこの危機的状況を解決できないと踏んだ。そう気付かせてくれたのも波多野菜央がポツリと呟いた「感性がお腹すかせてる」という一言だった。本人は覚えているかどうか怪しいがそれをきっかけに僕も吹っ切ることができた。波多野菜央にいろんなジャンルの音楽を聞かせLIVEや映画を見せ文章力表現力を鍛えた。もともと彼女の書く詞は独特の世界観にあふれている。そこをさらに磨くようにした。POD CAST や脚本執筆 記事を書いたり取材を通じて人生の先輩方からのインスパイア。出会いは出会いを生んだ。幸いなことにギラヴァンツ北九州の玉井社長や資さんうどんの佐藤社長にもご縁ができ波多野菜央を紹介することができた。大先輩方の企業理念や経営戦略について感銘を受け、学ぶ事が多々あった。そこは波多野菜央というアーティストが秘めた可能性やポテンシャルによるところが大きい。みるみる様々な感性を吸収し成長を始めた。書いてくる詞がさらに凄みを増した。歌の表現力がさらに上がった。1stも2ndも作ったCDに賞味期限はない。LIVEができるようになったら「直」に皆さんに届けます。そのために配信も始めた。波多野菜央 によると「腹八分目などない、満腹か腹ペコかどちらかだ」らしい。3枚目のアルバム制作に向けて「満腹」になっておいてくれ。僕らはあの日見た夢の先へ行くのだから。
「ファンとは」
とある Cafe でオーナー女性と会話した。そのカフェのスイーツは材料を吟味し手間暇をかけパティシエでもある彼女のこだわりと愛情がいっぱい詰まったスイーツである。いただく僕の方と言えば名だたるグルメでも食の評論家でもなく、ましてやスイーツソムリエでもない。味や舌ざわりなどの感覚が鋭いわけでもない。単なる甘いもの好きのおっさんである。でもこの店のスイーツは好きなのである。なぜか? それはここのスイーツが美味しいだけでなく僕にとって優しいからだ。
パティシエの彼女はこういった「どんなに手間をかけ、こだわりのスイーツを作ったとしてもそれがお客様に伝わっているか不安になる。」
スイーツであろうと音楽であろうと写真であろうと絵画であろうと他のアートであろうと作り手は常に発信し続けないといけない。いや 正確には発信を辞めることができないのである。別に発信しなくてもよい人は間違いなく楽しむ側として客の立場になってると思う。でも作る側の人間は内なる感情を表現することを辞めることができない。止まらないのだ。どうすれば自分のイメージを表現できるか常に試行錯誤を重ねているわけだ。そして客の喜ぶ顔が見たいのだ。喜ぶ顔限定ではない。驚きや感動、癒し共感なんでもいい自分の作品と関わることで相手の感情を揺さぶりたいのである。
受け手の感想なんて勝手なものだ。「お腹が膨れればいい」「可愛らしく撮れればいい」といった単純なものが多いのかもしれない。又作品はどうでもよくて作家にのみ興味を持つ人も多くいるだろう。音楽にしても歌の上手い下手がわかる人、演奏技術や録音技術のわかる人がどれだけいるだろうか。作り手のこだわりを分かる人はいったいどれだけいるのだろう。でも不思議なことに作品を通じてこだわりが伝わった時 感情が揺さぶられた時 受け手は作り手が気になる。その作者が作った作品からの刺激を再度求めるようになる。そうしてファンができていくのだろうと思う。たくさんの人に作品に触れてもらってファンになる、その割合は100分の1だろうかはたまた1000分の1だろうかそれとももっとなのか.....
「鬱病と発達障害」
鬱(うつ)病という言葉があります。発達障害という言葉があります。個人的にはどちらも「病」と「障害」という表現には抵抗があります。又 個性として持ち上げるのにも抵抗があります。病や障害といいますが健康や普通といったものの概念とは一体なんだろうか。協調性があってコミュニケーションをとるのが上手で明るくて、あたえられた社会環境で滞りなく生活できることを基準とするのが正しく普通でそれ以外は病で障害かということですね。いったい目の見えない方、耳の聞こえない方、体のどこかを失われた又は稼働しない方を障害者と誰が決めたか。
都市伝説レベル(真偽は不明)ですが世界的に有名な盲目のアーティストのスティービーワンダーさんが演奏中停電に見舞われた時、周りのミュージシャンは演奏を中断、しかし彼は演奏を続けました。困惑する会場で彼は「ヘイ、みんなどうしたんだい? 真っ暗で何も見えないって? そうか目が見れるってことはなんて不自由な事なんだ。」と言って場を和ませたという話を聞いたことがあります。
人の心は揺れ動きます。要因は様々で人によっても違います。能動的に体が動くのも心が元気だから。逆にしなければいけない事は山ほどあるのにやる気がまったく出ない。体が動かない時は心が元気ない時でしょう。
波多野菜央のデビューアルバム「太陽と月」の収録曲に「嫌われ者」という曲があります。曲をプロデュースする時には必ずどこかに希望や前向きになれる箇所を盛り込んで着地させることがよくあるのですが彼女がこの曲を持ってきた時の印象は「出口の見えない歌」でした。そんなに深くない、水面の上の光をわずかに確認できるくらいの深さでもがく姿を感じました。普段元気いっぱいの彼女からは想像できない曲。しかし光の部分が明るさを増すほど影の部分はより暗くなるわけで、そうかこの両面こそが波多野菜央そのものなんだと理解した曲でもありました。オリジナルのまま苦しみをそのまま表現する方向で曲を仕上げました。
あえて言うならそんな周りから変なレッテルを貼られていても「君は君のままで」いいんだよと自分の「痛み」だけでなく相手の「痛み」も知る事が大事なのでしょう。ありのままを認める事それは難しいことではありますが、その上でどんな行動をとるかは貴方自身の選択肢で選べばいいかと。
そんな波多野菜央の「嫌われ者」をテーマに脚本を書かせていただきPOD CASTショートストーリー&ミュージックとして番組を作成しました。ぜひお聞きください。Spotify Applepodcast Anchor 他 お使いの配信プラットフォームでお聞きになれます。「波多野菜央」で検索お願いいたします。
【経験値を駆使して価値観をゼロに】
エンターテインメントビジネスは集客・動員が基本です。どんな素晴らしいコンテンツも作品も見ていただくお客様や利用していただくユーザーがいなくては話になりません。今回のコロナ禍においてはその生命線自体が禁じ手という縛り。多くのスタッフで作り上げること自体が、稽古や打ち合わせ自体がNGの中 それに加えて命の危険や風潮被害 世論などが追い打ちとなり全てのアーティスト達、事業主、企業共 正に存続をかけた危機的状況となっております。いやエンターテインメント業界だけでなく集客 接客を伴うすべての業種も というべきでしょう。僕の場合、業界歴40年を振り返ると「昭和天皇崩御」「阪神淡路大震災」「東北日本大震災」「福岡西方沖地震」など様々な歴史的出来事の中、自粛時の対応やアーティストのマネージメントを経験してきました。基本的な対応やコメントやアナウンスなどはありましたが移り変わりの激しいエンターテインメント業界においてどれもその時の現場での判断やプロダクションやアーティストの社会的スタンスによって行動やメッセージを試行錯誤してきました。 しかしながら今回は個人事務所という環境下 今までとはスタンスも余力も異なります。 どんな業種の方でもその世界で長く生き抜いてきた方には「危機」「リスク」に関する様々な勘が働きます。 僕もこの勘に従いながら様々な対策と準備をしております。 3か月 半年 1年以上と短期戦、長期戦をシミュレーションすることがアーティストを守る事ではないかと思います。どこまでこちらが兵糧攻めに耐えうるかはわかりません。 「明けない夜はない」と皆さんおっしゃいますが後の世界が今までと同じである保証はありません。全ての経験値を駆使して自分自身の価値観をゼロにする所からあらためてエンターテインメントビジネスの在り方を考え直す時が来ているのでしょう。 しかし波多野菜央 の存在にはあらためて救われる。彼女自身がパンドラの箱の最後に出てきた「希望」そのものだとつくづく実感します。そしてこの状況さえも糧として成長を続けている姿には驚きを隠せません。アーティストの本質は「作り」「表現」すること スタッフはそれを「拡散」し「提供」することなんら変わりません。それがコロナ禍後の新しい時代で新しいエンターテインメントビジネスとして成熟するためには時間が必要ですがそれまでは「我慢」ではなく「辛抱」なんでしょう。アグレッシブチャレンジャーであれ。一日でも早く世界の人々に健康で平穏な日常がおとずれますように。
【SHOW MUST GO ON】
2020年3月15日 5:40
今の現状について思う事を書くかどうか悩んだがエンターテインメントの世界に生きるものとして記録しておかなければという想いに至ったのでつづらせていただく。あくまで個人的な「想い」ということをご承知おき願いたい。
未知のウィルスによる感染症拡大防止の為エンターテインメントだけでなく社会全体が自粛を余儀なくされている。陰謀論やスケープゴートなどとの噂も聞こえてくる。何かに向けての下準備とも言えなくもないがどこかで見たシナリオにしては詰めが甘い。
我々波多野菜央チームも何とかワンマンコンサートを開催できたのはまさに僥倖だった。翌日のギラヴァンツ北九州の開幕戦「福岡ダービー」ミクニスタジアムでの歌唱もしかり。その次の週から一気に社会情勢は急変、現状に至るわけだ。予定していた出演イベントはすべてキャンセルとなりアーティストの命ともいえるライヴを自粛している。
キャンペーンで各地へ赴いて番組へ出演させていただいている。「波多野菜央さんの元気に救われました」という声をいただいた。しかし各局の関係者は中止・延期になったイベントのフォローに追われこの先のイベントの関しても開催判断の材料がない暗雲の中で頭を抱えている。パーソナリティーの方々はほとんどがフリーランスである。司会やゲストで出演予定していたものがなくなればどうなるか察しがつくだろう。スポンサー問題も深刻だ。業績が落ち込めば一番に削られるのは広告宣伝費。外食産業も外出そのものが懸念されれば成り立つはずもない。さらに「ライブハウス」や「劇場」が名指しで報道されれば誰もが行くこと自体を躊躇する。演者や主催者も会場も「最悪の事態」を恐れ負の連鎖へ突入する。ライブを宣伝しようものなら何者かからどこぞやに「通報」され中止をやむなくされたと言うSNSを見た。誰も被害者にはなりたくない。まして加害者にも。ウイルスは心までも蝕むのか。フリーターとフリーランスの区別がつかない人達のまことしやかな言葉に振り回され恐怖心から疑心暗鬼になり自己防衛からデマに扇動され、人の業が前面にでてとんでもない行動に走る。販売店からは必要以上の物がなくなっていく。生活に支障がでればさらに精神的に追い込まれる。まさに業種を問わず社会全体に影響を及ぼしている。
入場者数が万人に及ぶものは損失額も尋常ではないはずだ。スタッフや社員、選手などのギャランティーや施設の管理費などは何もしなくても年間単位で発生している。回収できるめどが立たないということは不安を通り越してその心情たるや言葉にできない。
5月のイベント中止の案内もポツポツ見かける。おそらくオリンピック関係に人や報道を回したいのであろうというのは勘ぐりすぎか。
街を歩いてみた。販売業・旅行関係・物流・影響がひしひしと伝わる。学校や公共施設は静まり返り駅やJR列車内も人がまばらだ。マスク率はそんなに多くはない。マスク自体が無いのか。でも100万枚寄付するという人がいるということはあるところにはあるのだろう。しかしだ、明らかに中高生であろう若者たちは元気に街を闊歩している。家から出るなと言われても子供たちがジッとしているわけはない。公園からは元気な声が聞こえ屋外のバスケットコートでは3on3を楽しむ多くのチーム、釣り人は竿を垂れ、カラオケ店やパチンコ店は相変わらず人が多い。東京ではいまだに通勤時間帯に乗車率の高い列車もあると聞く。この差はいったい何だろう。
未知のものに対する恐怖。特効薬も治療法もない。となればどうするか。ある程度ディフェンスを構築したら次は攻め。方法は様々、やり方は自由、楽しみ方も自由。ライブなど人が集まるリスク以外にも生活の中にはたくさんの防ぎようのない現実が存在する。となれば「うつさない」「もらわない」「ひろめない」という対策のもとに「責めない」「叩かない」「転嫁しない」と言う意識を心がけながら日常を少しづつ取り戻すべきではないか。
かつて歴史の中で我々は様々な噂や疫病などの「目に見えないもの」と闘ってきた。そしてアートや音楽、芸術は不要の物ではなく、なくてはならないものとして生き残ってきたはずだ。
【SHOW MUST GO ON】歩みを止めるな。未知のモノに怯えて暮らすのもそろそろ限界だ。僕は音楽の力を信じる。
写真:浦瀧恵美子
「ありがとう」その先にあるもの
「ありがとう」「有難い」 波多野菜央と活動するようになってこの言葉が多く出るようになった。いろんな意味のある言葉だがもっぱら感謝を表す意味で使わせていただいている。先日のワンマンライブでもたくさん言わせてもらった。
「来てくれてありがとう」「CD買っていただいてありがとう」「プレゼントいただいてありがとう」「支えてくれてありがとう」「いつも応援ありがとう」「サポートありがとう」「いい演奏ありがとう」「会館さんありがとう」「PAさんありがとう」「照明さんありがとう」「物販お手伝いありがとう」おそらくもっと言っていると思う。
すると不思議なことに「ありがとう」が返ってくる。
「いいステージをありがとう」「感動をありがとう」「誘ってくれてありがとう」「元気をもらったよありがとう」「嫌な事が忘れられたよありがとう」こちらももっとあったと思う。
あるサッカーファンの方がいらして買ったばかりのユニフォームにサインをしてほしいという。御贔屓のサッカー選手よりも先にまっさらのユニフォームにである。 「えええっ!私が一番最初でいいんですか!?ありがとうございます!」とサインをする。すると「サインしてくれてありがとう」とおっしゃる。
「サインの価値」というのは非常に重いということを波多野菜央には伝えてきた。
それを実践でファンの方から教わっている。ありがたいことだ。そしてそれに気づき「感謝の気持ちを込めて」サインをする波多野菜央もまた成長しているわけだ。ちょっと脱線したので元に戻そう。
「ありがとう」に対して「ありがとう」ギブ&テイクでいいんじゃない?お互いWIN WINでいいんじゃない? 確かにそれも正論。しかし何か物足りないと感じるのは僕が古い人間だからだろうか。いや波多野菜央も同じことを言っているということは世代の感覚というよりパーソナルな価値観の問題なんだろう。どうすれば気持ちが落ち着くか考えた。そうかわかった、「ありがとう」でマウントを取ればいいのか。いやいやそうじゃない。決して善意や行為の押し売りになることなかれ。
今よりもっといい曲作っていいパフォーマンスしてビッグになって。確かにご恩返しという意味ではそれも一理ある。お仕事でもっといい条件や報酬でお返しをするのも手だろう。
悶々としているとある曲にたどり着いた。「してあげたことは覚えている してもらったことは覚えてない」という詞がある。波多野菜央の2ndアルバム「直」の中の「パッチ」という曲の1節だ。この「してあげた」「してもらった」の「あげた」「もらった」という部分が深いのだ。
あの人は私がこれだけいろんな事をしてあげたのにお礼がない。あいつはあれだけ目をかけてやったのに挨拶がない。そこに存在する「あげた」「やった」という意識が「ありがとう」を邪魔しているのだろう。
「ありがとう」のその先にあるもの それはその人と出会ってよかった、その人と関わってよかった。と思える事じゃなかろうかという結論に落ち着いたのだがいかに。
これからも波多野菜央の周りに「ありがとう」がたくさん飛び交うようハッピーを届けていきます。引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。
写真:Atelier Snowbird
【プレッシャー】
普通の若者がいきなり多くの人前で歌を歌う。趣味でなくお金をいただき自分のパフォーマンスやCDを商品として販売する。
生放送で名だたるDJやタレントさんとしゃべる。自分の意見を発信し時に突っ込んだり突っ込まれたり。
自分が見たり聞いたりしていた番組やイベントに自分が出演するという状況。
あまり使いたくない言葉だが「普通の人」はこの時点で間違いなくフリーズするであろう。しかしながらそれを生業とする職種が存在する。波多野菜央はその道を選んだ。新人だからといって大目に見て擁護してもらえる世界ではない。その世界では常に戦っていなければならない敵がいる。それは「自分自身」と「プレッシャー」だ。
特にこの「プレッシャー」という得体のしれない魔物はアーティストだけでなくアスリートやビジネスマンにでさえ大切な大一番ほど襲い掛かってくる。
職種やプロ・アマ関係なく容赦ない。唐突におまけに目には見えないから厄介だ。
プロならば万全の準備をする。体調管理も万全のスタッフ体制で神経使って行っているにもかかわらずコイツは当事者のみならず周りの人達にものしかかる。
体調がおかしくなる。得体のしれない熱がでたり胃が痛くなったり、酷い時には身体がいう事を聞かなくなるという物理攻撃もあれば 恐怖にも似た「不安」で心を蝕む心理的な攻撃も仕掛けてくる。
こうなると僕らスタッフにはどうすることもできない。プロデューサーにしろコーチにしろ上司にしろ親にしろ、本人を「行って来い」と送り出した後は見守るしかない。
ハードな練習漬けにしようともどこからともなく現れては「心」と「身体」にチョッカイを出して悪さをする。そんな状況の最中、最高のパフォーマンスと結果を求められるのだから本人はたまったものじゃない。尋常じゃない心のタフさが求められる。鍛えるべきはフィジカルだけでなくメンタルもと言われる所以はこういうことだ。
波多野菜央はこの強敵とどう向き合うか。
明鏡止水の境地に至るか、リミッターを外して極限まで行くか。
どちらにせよそれを超えたところに「ZONE」はある。
僕はそれを「音の向こう側」と呼んでいる。
2020年 もう10日経ちます(笑) 波多野菜央も2年目 今年で24歳年女です。僕は今年で業界歴40thですが(笑)ふと彼女が生まれた年、何してたかなと。ちょうどその頃のであろう写真があったので乗っけてみました。1994年か95年くらいか。今から25年前。CHASE(東芝EMI TMファクトリー)のマネージャーとしてロンドンでRECしてました。プロデューサーは星勝さん、こちらは説明するまでもないですね。エンジニアはアートオブノイズのゲーリーランガン氏 彼はマルコムマクラーレンのアルバムやYESの「ロンリーハート」、プリンスやトムジョーンズ他BIGアーティストともお仕事されてるスーパーアーティスト。もうスケジュールの許す限り現場にへばりつかせていただいてました。
RECと同時進行で取材やジャケ写撮影 も行っていましたので毎晩滞在先のフラット(集合住宅型のマンション)で深夜まで資料の作成や打ち合わせを行っていました。当時はノートブックPCなんて滅相もない時代ですから勿論手書き作成です。スタイリストは当時のSalvatore Ferragamo (サルバトーレ・フェラガモ)の日本代理店のT社長とミラノコレクションのスタイリストのイタリア人の Mr PAOLO ヘアメークMrs GRAZIAという豪華面々 衣装・スタイリングに関することも色々勉強させていただきました。
CHASEの二人にもロンドンをたくさん体験してもらいたくてあちこち連れまわしました。もちろんアビーロードスタジオにも行きました。同じ東芝EMIということでスタジオの中にも入れていただきあの「Let it be」でSir.ポールマッカートニーが弾いたピアノにも触らせていただきました。
時代は流れてあれから25年 でも時代はサイクル状に廻ってきます。「いいもの」は普遍的にいつの時代でも私たちに「感性の刺激」や「想い」を伝えてくれると信じています。
この時に学んだ様々なことが今 波多野菜央 に活かされているというわけですね。
波多野菜央のみならず若者アーティスト達よどうか視野を広げ新しい時代にチャレンジしてほしい。
写真は25年前のまだ髪がふさふさの頃の私 ROYAL ARBERT HALL 。いつかここに「TONIGHT SHOW HATANO NAO」という看板を掲げるまでがんばるぞ!
【今年の一文字】
波多野菜央の今年の一文字は「一」だそうだ。
普通の女子大生がゼロからCDデビューをし自分自身を形にした第一歩だから。
僕はなんだろうと考えた。
「耐」におちついた。
ひたすら耐えた。我慢した。
マネージャーとして復活するためのリハビリ。
体力 気力 勘 マーケティング プロモーション 業界の現状 全てにおいてもう一度自分を鍛えた。
なによりも波多野菜央を育てることにすべてのパワーをつぎ込んだ。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
ご存知山本五十六大将の名言
右も左もわからないうら若き女性が「この人信用できるのかしら?」と思うのはごくごく至極。自称プロデューサーや自称業界人が襟を立ててアマチュアにいいカッコする界隈。プロデューサーとしてマネージャーとして信頼と確固たる師弟関係を構築するにはまず率先して後姿を見せるしかない。周りは関係ない。いろんな声が聞こえてきた。いろんな仕打ちもうけた。がかまっている暇はない。ひたすら波多野菜央と現場を駆け抜けた。苦しかった。でもそれを希望に変えてくれたのは波多野菜央の成長だった。1伝えれば10帰ってくる。課題にとことん向き合う。僕は厳しいほうで普通のアマチュアはケツをまくることがほとんど。しかし波多野菜央はくらいついてきた。結果目標の70%は達成できた。残りの30%と来年分の課題は130%として来年波多野菜央とクリアする所存だ。女子大生という利点もすでになくアーティスト波多野菜央として2ndアルバムを引っ提げて本当の成果が問われる。大晦日 カウントダウンを海響館で行う。仕事終わりと仕事始めが同時にやってくる。望むところだ。北九州発シンガーソングライターとして全国へ発信していく。ぜひ引き続き応援よろしくお願いいたします。
【成長】
僕は波多野菜央を人に逢わせる。
プロデューサーとして日々アドバイスしトレーニングしているが全てが伝わるわけではない。
同じ物言いでも第三者から言われることによってストンと腑に落ちることがあるのと同じで僕以外の方からアドバイスをいただくことによって一気に壁を突き破ることがある。
又は 自分に足りないものを痛感して大きくへこむか。
東京へ行った際に業界のレジェンドたる門谷憲二先生を訪ねた。ご存知の方もいらっしゃると思うが 「君は薔薇より美しい」布施明 「螢火」小柳ルミ子 「白雪姫の毒リンゴ」泉谷しげる など作詞家としては1000曲以上を世に出しスタッフとしてもレコード会社 プロダクションを歴任され業界の礎を築かれた方である。僕とは以前から親交があったおかげで忙しい作業の合間を縫って波多野菜央の為に時間を割いていただいた。
柔らかな優しい物腰の奥に潜む業界の荒波を超えてきたオーラに波多野菜央が気づかない訳がない。
逢って開口一番「良い詞を書きますね。いい言葉をたくさん持っている」 CDを渡すために席を用意したのだがすでに先生はリサーチ済だ。先手を取られた。 恐縮すぎて波多野菜央はピクリとも動けなかったらしい。いつも元気でよくしゃべる彼女がしどろもどろになっている。 楽曲制作に関する事 活動に関する事 ためになるお話をたくさんしていただいた。二人で先生を見送った後 「自分に足りないものを痛感した」としばし放心状態の波多野菜央。 しかしこの後更なる追い打ちが彼女を待っているとはこの時はまだ気が付く由もない。
【覚悟】
波多野菜央のステージを見てくれた ある若者が SNSでこうつぶやいてくれていた。
「この道で生きていくんだって彼女の覚悟が伝わってきて泣きそうになった」と
又、たまたま神奈川から来ていたあるお客様は波多野菜央の曲を聞いて涙してCDを購入してくれた。
大きな会場でも小さな会場でも お客様がたくさんいらしてもそうでなくてもいつも彼女は全力で歌う。魂を絞り出してメッセージを伝える。
福岡で初めて波多野菜央を見たお客様がその日の夜の北九州のステージに来てくれた。波多野菜央の歌を聞きに。
又ある方は たまたま彼女の歌を聞いてすぐHPでスケジュールを調べて次の日のステージに来てくれた。
朝 夜 次の日と3ステージとも来てくれる方もいる。
バイトで貯めたお金でバスを乗り継ぎ時間をかけて生まれた町以外のステージにわざわざ波多野菜央に会いに来てくれる若者もいる。
いつも無料のイベントしか行けなくて済まないね。
物販買えなくてごめんね。 いえいえ何をおっしゃいますやら。
波多野菜央 は言う 「逢いに来てくれるだけで嬉しい。歌を聞きに来てくれるだけで嬉しい」と。
まだ見ぬあなたへ伝えたい歌があります。届けたいメッセージがあります。
2020年2月22日 波多野菜央 2nd アルバム発売 発売コンサート。
ぜひあなたのお時間を 波多野菜央 にいただけませんか?
【天使の日】
10月4日 今日は波多野菜央の誕生日だ。
前日の3日ヒーコンスタジオでレコーディングをして帰りの車の中で4日を迎えた。23歳になりたての波多野菜央がいる。
急に車の窓を開け「おめでとおお!」と大きな声で彼女は真夜中の博多の街に叫んだ。
年頃の女性なら こんなおっさんと誕生日の瞬間を迎えるより友達や家族にお祝いしてもらった方がいいに決まってる。
去年の誕生日は撮影で北九州を縦断してた。
今年はレコーディングだ。
そして去年はデビューアルバムの告知を
今年は2nd アルバムの告知。
大きな事務所だと事務所からアーティストに花束や記念品とか会社経費で送られるのだが 気の利いた誕生日のサプライズもしてやれない。
でもめちゃいいテイクが録れたんだ。
それも2曲も!! 最高のバースデイプレゼントだと思わないか? ダメかなあ。女心を分かってないなあ僕は。
でも今年も誕生日に告知をするって二人で決めたんだ。だから僕は一人でも多くの人に 2020年2月22日の2nd アルバム発売と北九州市ウェルとばた中ホールでの発売コンサートを告知するよ。
宣材 プロフィールも最新のものにメンテナンスして どうすればアーティストの魅力を最大限に伝えることができるか。誰にどう見せればいいか。四六時中考えてる。だってこんなに胸に突き刺さる歌を歌うやつはそうそういない。時代が波多野菜央を必要としてるんだもの。
いつか夢が叶ったら 2019年の1月27日のデビュー日から数えてその時の年数分のロウソクをケーキに立ててお祝いをしよう。バンドのメンバーや応援してくれたみんなをお招きしてさあ。フルバンドでハッピーバースデーを歌おう。それまでまだまだアクセル踏み込んで駆け抜けていこうね。
誕生日おめでとう。ハッピー娘 波多野菜央。2019年10月4日 プロデュサー兼マネージャー 浅川三四郎
【何である? アイデアる 愛である】
プロデュース業という者は常にアイディアを出し続けるという過酷な役割でして。
それでまた アイデアというものは 無尽蔵にポンポンでてくるものではないのであります。
頭の中のものを現実ラインに落とし込むにも ロケハンしたり予算化したり根回ししたり 関係各所に出す提出物作成したりと労力を要するのであります。
当然 「枯渇」するわけですよ。
何というか体内エネルギーというか フォースというかチャクラというか 感性の源的なものが。
すると 体が動かなくなる。脳はフル回転しているから熱を帯びる 発熱とは違って車のエンジンが熱く火を噴くような感じといえば近いかな。
寝れない。1週間ほど浅い眠りのような域をさまよいながらちょっとでもアイデアのかけらが浮かぶとそれを広げようと起きて作業する。の繰り返し。 救いだったのは波多野菜央の現場が充実していたこと。
で やはり不思議なもので ひょっとしたヒントから ストーンとアイデアが降りてきて ほんとタイムリミットギリギリでイメージが固まった。
それから超高速でいろんな案件を処理。(10月1日の増税がなければもう少しゆっくりできたのですが) なんとか順にたまっていた案件が進んでおります。 OUT PUT だけではいけませんね。やはり感性のIN PUT とリラックス 体のメンテナンスは大事です。アーティストさんをマネージメントする時も やはりそのポイントは心がけております。 秋の衣替えといいますか、写真を各SNSあちこちリニューアルしておりますのでお楽しみください。今回も写真は 萩森陽志郎さんの作品です。ロケ地は 北九州の皆さんにはおなじみの場所ですね。
【僕らの周りはやりたいことで溢れてる】
妖怪ウォッチシリーズや数々のメジャーアーティストアーティストのアレンジをされている 佐藤五魚さんとひと仕事でした。五魚さんお疲れ様でした!
最近 「お忙しそうですね」「大変でしょう」といういたわりの声を多々かけていただくことが多くなりました。まあ確かにバタバタはしてますが。いやあ 楽しいのです。なんでか? いままでやりたくてもできなかったことを片っ端からやっているから。
「いい歳こいてまあだそんなことをやってるの」「若い世代に順番譲らないと」とかいろいろ世間体みたいなものが足かせになってたけど 波多野菜央と一緒活動するうちに 残りの人生こいつと転がってやろうって火が付いた(笑)
東京でのマネージャー時代、社内調整、予算、稟議待ち、そんなことしたら他の所属アーティストに影響するのではないか、へんてこなとんでもない価値観の上司、編成の順番待ち、あれやこれや。規制だらけ・・・でも今は 僕と波多野菜央。二人でよっしゃー! せーのっ!でできる。
やりたいことをするのに遠慮はいらない! 周りは全く気にならない。むしろ波多野菜央と現場に行くと彼女が周りをハッピーにしてくれる。
仕事でも学校でも「しなくちゃいけない」という感覚になるとストレスが襲い掛かりる。人間関係もそうだと思う。でも間違えちゃいけないのは「好き勝手やって人に迷惑をかける」ことと「やりたいことをやって自分を確立していく」ことは大きな違いがあるよね。なんせ後者には自己研鑽というものが付いてくる。しかしこれもまた「好きな事」であれば苦にはならない。だって好きなゲームする時は時間も労力も勉強も惜しみなく費やしてレベル上げするでしょ。
自分で「こうなりたい!」という想いがあれば自然と体も心も動くはず。 なんだけどね (笑) できないって? じゃあ何に遠慮してるんだろう?って思う。実際僕も気が付いた。カギ閉めてたのって自分なんだよね。 今じゃどんなハードなスケジュールもワクワクしながらライディングしてる。 そりゃあ 「あたたたた(´;ω;`)」ってときもある。泣いたり笑ったり。波多野菜央 は「私 今青春してます!」っていうんだ。面白いよね。何にも知らなかった小娘は今や大事なパートナー。僕が理想としていたアーティストとマネージャーの関係に近づいてきている。おっとまた一ついいアイディアが浮かんだ。さあどうしてくれようか(笑)
僕らの周りはやりたいことで溢れてる。
【夏の終わりに】
蝉たちの合唱が主役の座をコオロギや草の虫たちに譲ろうとしている。7月から僕らは九州の各FM局を全県回ろうとしていた。生番組のゲストを中心に波多野菜央というアーティストと彼女のアルバム「太陽と月」のプロモーションの為だ。
通常大手のレコードメーカーだと新譜の発売日を挟み前後で全国を行脚するのだが、なにぶんポンコツマネージャー独りでスタッフワークをしているのでマニュアル通りにはいかない。40度を超える灼熱の日も 大雨で道路が川のようになった日も 真夜中に出て朝一番の生番組にも出演させていただいた。台風に真っ向勝負を挑んだ時もあった。
ライブもいろんなシチュエーションで波多野菜央は挑戦した。野外 大きな会場 ライブハウス 空回りした時も 確かな手ごたえの時も 散々なときも 喉痛めて半泣きで歌った時もあった。食事もカロリー管理を自分でできるようになった。
ほかにもたくさん二人で考えたメニューをこなしている。長距離運転は絶好のミーティングの時間。たった今出演した内容について 細かく反省会をする。ダメ出しと対応策を徹底して話し合う。写真やデータを共有しSNSにお礼を上げる。はじめのうちは僕が原稿の下書きをしていたが最近ではいい文章を書くようになった。
みるみる成長してきていると思いませんか? まず顔が変わってきた。 しっかりとオーラが出てきた。ただの女子大生はアーティスト波多野菜央に成長してきた。
アーティストを信じ スタッフを信じて 二人で転がった夏 車の屋根に止まったトンボがデビュー1年目の夏の終わりを告げようとしている。僕の頭の中には数年先までプロデュースプランができている。さあて次のステージに行こうか。
*写真はりーさんよりいただきました。
8月28日 午前0時を回ったくらいに波多野菜央から誕生日のお祝いラインが届いた。嬉しいじゃないか。気の利いた台詞探してたら寝落ちした。結果大既読無視となった。ごめんよ~。北部九州は昨晩からの雨で各地で被害が出ている。心配だ。
昨日は宮崎にFM宮崎様の番組ゲストでおじゃました。北九州から車で移動 経費を考えれば一番効率がいい。東九州自動車道やバイパスができて休憩入れながら約5時間で着く。九州自動車道も同じくらいなのでお天気レーダーで雨雲の様子見ながら大分経由の南下ルートを選んだ。帰り九州自動車道は通行止めだったので選択的には功を奏した。僕らは運が強いと思う。写真は別府湾インターの霧、よく発生する場所ですね。
波多野菜央 MEETS JASON MRAZ
なんと引き寄せる力をもったアーティストなんだろう。
でも 僕ら努力してるもんな。
言っただろ いつか声は届くって。
さあ 次は共演だね。同じステージの上を目指して特訓じゃ!
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波田陽区さんとカモンFMさんのご協力により 局内番組コラボレーションとなりました。ありがとうございます。さて、「スランプじゃ!」とのたまわっておりましたプロデューサーですが何とかトンネルを抜けいろんなものを形にできております。周りにいる素晴らしいクリエーターの方々のおかげですね。
2017年に出会い 2018年にレッスンを開始しCDを作り2019年1月27日にデビュー。何にも知らない女子大生が音楽の世界に足を突っ込み約5か月。
ゴダイゴのギター浅野さんのオープニングアクトを務め、自分の番組をもって誰もが知ってるギター侍と対談してる。ねえ菜央ちゃん想像できた?
立派にトークできてる。何よりもちゃんと勉強できてる。成長できてる。いい曲もどんどんできてる。CDも地道に皆さんに聞いてもらえてる。でも僕らの目標はまだまだ遠い。北九州のハッピー娘 九州のハッピー娘 日本のハッピー娘 憧れの人と同じステージに立てるようこれからも課題を一つずつクリアしていこうね。「浅川が面倒見てるアーティスト」から アーティスト「波多野菜央」に最近はなりつつある。どうか皆さんこれからも応援よろしくお願いいたします。
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【スランプ】
努力は薄い髪を いや薄い紙を重ねていくもの。1枚や2枚じゃ何の変化もないですがある時、目に見えて実感する時があります。波多野菜央にはいつも「今日頑張ったからといって明日すぐにイチローにはなれない」と言い聞かせております。あ、イチローの部分は時と場合と僕の気分で変わります(笑)
波多野菜央の勝手にシリーズも長編や短編などバリエーションをその施設や場所によって変えています。短く見やすくしてお届けするのはTVや番組のプロにお任せして僕らはあえて感じたままに普段TVなどでは時間やその他の制約で見れないものを手作り感満載でお届けしようと心がけています。「この施設 スロープがあるなら出かけてみよう」とか「動画見て楽しくなった」「懐かしい!今度久しぶりに訪ねてみます」という声をいただくようになりました。とてもうれしいです。単なる波多野菜央の宣伝のために動画を制作しているわけではありません。スタッフの方の考え方や努力、こだわり、施設の存在意義、コンセプトなど肌で感じてそれを理解できるアーティスト、人間になってほしいから。そしてそれを動画を通して一人でも多くの方に伝えたいから。「長すぎる」とか「こんな編集 今の若い人は引いてしまう」と言われたこともあります。でも反面「もしかして 勝手に~されてる方ですか?」「あれ面白いですね?」「ご本人ですか?」「iPadから飛び出てきたみたいですね」「動画見て新しい発見がありました」と声いただくときもあります。飛び込みで適当に撮影しているわけではなく 施設のスタッフと打ち合わせや相談を重ね どのポイントを紹介すると魅力が伝わるのか意見を頂戴しながら6時間から7時間 足を使って撮影しています。今の若い世代は動画を見慣れているので長かろうが短かろうが気に入った所を自分でつまんで繰り返し見ます。他の事しながら垂れ流しするのも 波多野菜央とデート感覚で見るのも それぞれの楽しみ方で。僕と波多野菜央がCDで音楽を届けることにこだわるように いろんな場所の素敵な外観だけでなく見えない部分に込められた「想い」も伝えていけたらいいなと思っています。
写真はカメラマンの Mariko Hashizume さんから頂きました。普段 僕が撮影しているのでなかなかこういうショットは貴重で嬉しいです。ありがとうございました。勝手に観光大使シリーズ あなたのところへお邪魔した際にはぜひよろしくお願いいたします。 海響館HP
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平成が終わりますね。新元号は何になるのでしょう。Twitterで面白いツイートが目につきました。どなたが書かれたかわかりませんがこんな内容でした。【「新元号は平成です」という記者会見 唖然とする記者達】、フィクションですが記者会見を機にタイムスリップするという内容でした。おもしろい切り口です。当然 あの災いの日はまだ来てないわけです。僕らはどういう行動をするのでしょうね。そして平成の初めに波多野菜央がいてCD「太陽と月」をリリースしていたら業界の皆さんやリスナーの皆さんにどういう評価をしていただけたか興味があります。昨年の12月25日にRECが完パケし工場へプレス入稿しました。まさに聖夜に誕生した作品です。そして今年のつまり平成31年1月27日にリリースされました。そして波多野菜央 3月25日に下関市立大学を卒業し僕とシンガーソングライターの道へと その一歩を踏み出したわけです。現役女子大生シンガーソングライターから 平成最後のシンガーソングライターとして。平成という時代を背負ってもらいましょう。そして新しい時代を波多野菜央に牽引していってもらいましょう。ピッタリな歌があるじゃないですか 波多野菜央の「REAR」です。アルバムの1曲目に持ってきた意味はここにもあります。 最近少しやせたかな? 本人には言いませんww
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【準備】
仕事でもプライベートでも物事に対峙する時には事前の準備が必要です。NO PLANで飛び込んでアドリブ的に突発的刺激を楽しむ、即興的にひらめいたものをそのまま作品にしていく それはそれで充分楽しいし必要な事なのですが、まだまだ発展途上で基礎を構築していく上では予習復習 事前準備にエネルギーを費やすほど本番が楽しくなるし完成度も向上します。人に会う事や取材などでもそうです。「いやいや変な先入観を持つよりその場のフィーリングで」というご意見が聞こえてきそうですね。それはある程度感性のキャパシティが広がってからの話。確かに 趣味で楽しむ分にはそれでいいかもしれません。しかし出会いを自分の糧にしていく、出会いを通して自分が何かを発信する為には 出会う覚悟が必要です。個性は奥深いですから、少々予習してようが幾らでも相手から新しい刺激と発見をみつけることができないと自分を成長させることなんてできない。そうして吸収していくことによって感性のキャパシティが広がり引き出しが増えていくわけです。せっかくのチャンスましてや限られた時間、無駄にしたくないものです。プロデュースする人間として波多野菜央には常に予習と復習を徹底させています。10の表現するには100の糧が必要です。逆に10の糧しかなければ1も表現できない。ましてや人様の元気と楽しみになるアーティストになれるわけがない。多くの糧を蓄え皆さんに素敵な作品を提供できるよう日々努力してまいります。 最近又新しい顔が出てきました。まだまだたくさん彼女の中に眠ってるなと感じております。
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【僕と波多野菜央 ⑤二人三脚 の巻】
「なぜ僕が波多野菜央をプロデュースしようと思ったか。」う~ん、どうしたものか….頭の中で二人の自分が語り掛けてくる。「波多野菜央と組むかOR否か」ぐるぐると。僕は基本アマチュアの方には「頑張って」というワードしか言わない。なぜなら責任が負えないから。無責任な事を言わないようにしている。でも面倒見るならがっつりとポイントを絞って。CDをプロデュースするのか、プロモーションをサポートするのか、レッスンするのか、活動のアドバイスをするのか、どこからどこまでかと期間はいつまでなのかを明確にしたうえで関わります。波多野菜央とはレッスンだけなのかCD作ることなのか? 曲を仕上げるだけならサウンドプロデューサーにアレンジ含め発注すればいいし アドバイスだけならある程度ライブができるようになるまででいいし。波多野菜央が言う「よろしくお願いします」とはいったいどこまでを指しているのか。プロの場合はお仕事として具体的な業務依頼が下りてきて明確ですが、女子大生のアマチュアシンガーソングライターのよろしくお願いしますっていったい…ますます迷宮化してきます。まずは本人に確認しようとした矢先本人が唐突に「CDが作りたいです!」と言ってきた。それも運転中に(笑) いきなりわき腹のぜい肉を掴まれた感じだった。フォ!?っとなりながら頭の中でとっさに「〇〇頃だと思ってる」と答えた。これはその場しのぎで口から出たのではなくちゃんと事前に分析シミュレーションしてたこと。ちゃんと関係を明確にするべきだと思った。早急に時間を作って話し合いがもたれた(笑) ホワイトボードに図を描きアーティスト活動に関わるうえでどんな関係性が波多野菜央を取り囲んでいるか説明した。当然リスクもついてくる。むしろリスクをたくさん具体的に話しておかないといけない。他の選択肢があることも。波多野菜央は僕の言葉をメモに取る。手帳に書く。車で移動する時も、一緒に食事する時も、僕の言葉を聞き逃さないよう必死に。そんなところにも僕は好感を持っていた。一通り講義が終わって(笑)さあどうする?問いかけた。彼女は「ついていきます!よろしくお願いします!」と答えた。笑った。いや逆だよと。波多野菜央という船に僕が乗るんだよと。波多野菜央という船が沈む時には乗組員全員が海に放り出されるんだよと。21歳の女子大生、事の重大性わかってるか?ビビるだろうと思っていた僕の予想とは裏腹に彼女は「やったりまっせ!!!」と叫んだ。なぜか二人で大笑いした。船長は波多野菜央、波多野菜央という船、航海士は僕、船が大きくなれば乗組員も増えるだろう。その日から僕は例の「波多野菜央と組むかOR否か」という問いに決着をつけるべく三日三晩部屋に籠った。まだ僕は彼女に返事をしていない。今ならまだ彼女も僕も怪我をしないで済む。大学卒業して就職して普通の人生を歩けるだろう。彼女のお父様より年上の僕がはたして役に立つのか。年齢的にいつぽっくり行くかわからない、ましてやエンターテインメント業界の激務は誰より身をもって知っている。最前線にもう一度出ていけるのか。個人事業主で資金もない、体力的、精神的な負担は? 重たい荷物も持てなくなっている、階段もきつい、夜も弱くなった、酒も呑めなくなった、大の方向音痴、腹も出ている、髪も薄い、小さな字も見えなくなった。こんなのが引っ付いていて大丈夫なのか。若くてかっこいい元気なスタッフの方がいいに決まっている。マイナス、負の要素、リスクを全部出した。しばらく絶望しながらぼ~っと部屋を見渡してた。その時 カバンが目に入った。ツアーやキャンペーンでグッズやイベント用の道具を入れている古い皮のカバン。中を開けると物販用の道具やPOPを書く小さなホワイトボード。隣にはCDを通販で郵送するためのクッション。ディスプレイ用のライト。アーティスト活動をするための小物は全部揃ってる。ギタースタンド4本、バックの黒い幕、いろいろなイベント用の道具が「暇じゃ。」と言ってる。PCを開いた。動画編集ソフトや資料を作成するための様々なアプリやソフトが入ってる。そういやあ何年か前に勉強してたなあ。その時いきなりポポンと通知が入った、昔のバンドのメンバー同い年のアーティストから「ツアーを組んだ、よろしく頼むよ」と。全国を車で回るツアー、あほか!と言わんばかりの本番数。こんなに沢山ライブいれたら死ぬぞ(笑)。FBを見る、僕より先輩の方々がツアーやレコーディングで飛び回っている。大先輩のプロデューサーの方が手掛けられているアーティストと大きな会場でコンサートを開くと新聞記事が掲載されていた。レジェンドと呼ばれた方は今日もマイクの前でDJをされている。「おい若造が何を言っとる」ポンと背中を押された。周りで立て続けに友人が旅立って逝った。その度にあいつらの分まで今を精いっぱい生きる事を誓ったではないか。そうだった 若い時、「くたばるならステージの上で」と僕ら言ってたな。波多野菜央に会って僕に無いもの。僕に会って波多野菜央に無いもの。二つを足すとプラスマイナスゼロどころかワクワクと可能性で満ち溢れる。いままでの過去すべて今日の為の準備だと思えば僕も今ここからから始めても遅くはない。負の要素を全てエネルギーに変えた。そうだ、限界を決めるのは自分じゃない。そう考えるとすぐ行動しなきゃ。僕の年齢、波多野菜央の年齢を考えると貴重なアーティストの若さという旬を無駄にはできない。もう一度新人マネージャーになったつもりで頑張るか!そして波多野菜央に言った。「どちらか片方が頑張るのではなく二人で二人三脚で行けるところまで行く」僕の事務所に所属するという考え方ではなく二人 波多野菜央という船で荒海に漕ぎ出す勇気はあるかと。プロデューサー兼マネージャーとしてこんなポンコツな僕と波多野菜央、二人で転がる腹をくくれるかい?ずっこけるときは二人してずっこけるけどそれでもいいかい? 21歳の若者は涙を浮かべ深く頭を下げた。僕も下げた。しばらく無言が続いた。そして大笑いした。後日二人で約束事を紙に書いた覚書を交わした。お父様やお母さま、おばあちゃん、おじいちゃんに改めて了承してもらっておいで。それから僕もご挨拶した。すでに決まっているスケジュールをやらせていただきながら活動のシステム作りとアルバムの制作、レコ発ライブに向けて怒涛の日々がスタートした。こうして波多野菜央という小さな船はゆっくりと停泊していた日常という港から沖へと漕ぎ出した。なぜ僕が波多野菜央をプロデュースしようと思ったか。この章はこの辺でよかろうかい。ん?答え? それはね、彼女が「波多野菜央だから」です。 次回から制作ノート に戻ります。
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【僕と波多野菜央 ④小娘の決心 の巻】
「なぜ僕が波多野菜央をプロデュースしようと思ったか。」シリーズでお送りしております。まずはここまでのおさらい。①僕の自己紹介 ②波多野菜央と出会ったきっかけ ③プロデュースとは をお話してきました。今回は④一緒にやることになった決め手「決心」。レッスンを開始した時 波多野菜央は21歳になったばかり。前にも書きましたが全てがまだまだでした(今も発展途上ですが)。まずは発声や声の出し方とオリジナル曲を伝わるように歌う所から。僕なりの手法がありますが具体的には企業秘密で(笑)、あ、そうそうなんでも巷ではアマチュアミュージシャン用の活動コンサルティングもあって有料だそうですね。びっくり!知らない事だらけの世の中~って波多野菜央の歌じゃありませんが面白い。雇ってくれないかな(笑)。話がずれましたが、当面はレッスンしては宿題を出しての繰り返し。いやあ毎回の伸びが凄かった。1教えると10伸びてくる。みるみる成長していく波多野菜央を見ながら僕は②の章で書いた「確かめたいこと」を探っていきます。音楽性とキャラクターのポテンシャルについては前章で述べているのでここでは触れませんが、確かめたい事、主にメンタル面や考え方。その中の1つ「あなたは何をしたいのか?どこに向かいたいのか?」これは就活と同じです。ほとんどのアマチュアは「メジャーに行きたい」と言います。では「どういうのがメジャーなの?」と聞き返します。まあこの問いでほとんどの方はいい加減な答えになっていきます。同じ質問をしました。波多野菜央の場合は「あこがれの人と歌う事」「誰かの楽しみになる事」。「あこがれの人と歌う」はアーティストとして同じ土俵で共演する事です。わかりやすい。現段階ではスピッツの草野さんやJason Mrazさんなど上がっていますが おそらく彼女が成長していくにつれあこがれの人も変わるでしょう。僕らもそうでした。そのために何をしなければいけないのか、自分に何が足りないのか、こういう明確な目標があることは本人にとっていいモチベーションの維持につながります。そしてもう一つ「誰かの楽しみになること」これが響いた。歌のみならず波多野菜央自身が誰かの楽しみになる。僕のプロデュースの方向性と同じです。彼女からはメジャーという言葉は出てこなかった、いやメジャーの定義がわからなかったから選択肢としてなかったんですね。潔い!そして確かめたいことその2「どこまで本気?」これは非常に大きな意味を持つ質問です。アマチュアアーティストさんにこの質問をするとたいがい「本気です!頑張ります!」と帰ってきます。でも僕らの本気とはかなりギャップがあります。僕らが若い時は音楽で飯を食う為にということで先輩方から多くの物を学びました。今はプロのギタリストを目指す若者にギターをどれくらい練習してるか聞くと、30分とか昨日はバイトが忙しくてギター触ってないという返事が平気で帰ってきます。イメージトレーニング中心かい!(笑) 昔のギター少年だったあなた、7~8時間はざらだったでしょ?ギター抱えて寝落ちしたとか 自分の腕にマジックでフレット書いて授業中スケールの練習してたとか、登校中もギター弾きながら学校来てたとか(笑) ほんとかどうか別にして1万時間の法則を地で行くやつらが多かったと思います。でも時代は変わってきましたからこんなことを書くと考えを押し付けてるとかモラハラとかパワハラって言われる時代です。今や音楽で飯を食う時代ではなく 音楽「と」飯を食う時代です。そうwith ですね。それはそれで素晴らしい、僕もその多様性を研究してますから充分理解しているつもりです。でもいろんなチャンスが巡ってきた時、大事なイベントのオファーがあった時には一緒に活動するうえで アーティストの活動を優先してほしいわけですよ。ましてやアマチュアの方のスケジュールに合わせるため僕だけが仕事のスケジュールを調整するのはおかしな話です。自分の好きな時に 好きな歌を 好きなように歌いたい。それはアマチュアの特権。ただ僕がプロデュースする事はないというだけ。波多野菜央は就職活動ではなく音楽活動をすると明言しました。相談ではなく自分で考え決断し、ご家族の方 大学の先生方 周りのすべてに明言し「よろしくお願いします」と僕の所に来ました。「どこまで本気なの?」の質問には「もちろんです!」と。その時には自分で退路を断ってきてたという事。ほう今どき珍しく腹の座ったヤツ。あの時代の仲間たちの顔とダブりました。三顧の礼ではありませんが 若干21歳の女子の「決心」に答えなくて何が音楽人生か。小娘が人生と将来をかけるなら、あと何年動けるかわからないこのポンコツ、残りの人生くれてやるわ!と。その時です。そこでもう一人の冷静な僕がつぶやきます。「ちょっと待ちなさい!あなたみたいな爺さんが付いたところで若い女性の足手まといよ!」うむむむ!確かに!!今日のところはここらでよかろうかい。 次回 二人三脚 お楽しみに。
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【僕と波多野菜央 ③プロデュースとはの巻】
「なぜ僕が波多野菜央をプロデュースしようと思ったか。」シリーズでお送りしておりますが今回は序盤の核心になる「プロデュース」について僕の持論をお話しさせていただきます。プロデューサーが10人いれば10人ともやり方も違えば考え方も違う。まずここはご理解ください。そしてどれも正解はないということ、そして全部正解であること。例えば卓越したテクニックのアーティスト、超美形で見るものを虜にするアーティスト、アート的な前衛的なアーティスト、アイドル、タレント、いろんなタイプがいるわけでその人のどこを伸ばしていくか方法も目指すところもみな違う。アーティストにしても どのプロデューサーと仕事をするのかが運命の分かれ道、インチキプロデューサー、失礼、力量不足のプロデューサーに当たればそれはアーティストのあなたの見る目がなかったということ。また、途中でやーめたとリタイヤするアーティストに当たればそれはプロデューサーの見る目がなかったということ。どちらにしても100%正解はないのでしょうね。僕の中では「マネージャーはプロデューサーたれ。」という持論がありますので常に現場でアーティストと共に行動します。全部は無理かもしれませんが可能な限り現場に立ち合い試行錯誤とダメ出しを繰り返しながら成長させていきます。そして最終目標はアーティストが一人で歩けるようにすること。自分で自分を売っていくことができ、若手をプロデュースして次の世代につなげていくことができるプロデューサー兼アーティストへ成長してもらうことです。一度メジャーを経由してという場合もあればインディーズの延長というケースもあるでしょう。ご自身でいろいろ試しながら皆さん活動されてます。でも行き詰ってしまう事が必ずあります。そんな時一緒に頭を悩ませてくれて自分では気が付かなかったものの見方をポンと提案してくれる、こんな心強いことはないですね。しかしですね、巷ではへんなセミナーに染まってやたらビジネス用語の横文字使う自称プロデューサーが多いと聞きます。気を付けなはれや(笑) 同様にマネージャーも同じようなもんです。「初めまして波多野菜央のマネージャーです」と言っても、たいがいの方はピントこない。そらそうだ、マネージャーなる肩書の方の人と出会う事なんてそうないでしょう。ましてTVとかに出てくる芸能人の方だと「ああ、マネージャーさんですね」と腑に落ちるでしょうが アマチュアのそれもほとんど駆け出しの地元の女子大生にマネージャー??ってなるのが正しい反応でしょう。そもそもマネージャーって何する人なの?そうですねそれが正しい反応です。実際プロの現場にいてもマネージャーの仕事をしてないマネージャーも多く見かけます。仕事のできないマネージャーはやがてアーティストからNG出されますよ。あ、僕か!!ヤバいヤバい、話がそれました。とりあえず難しい定義や講釈は抜きにして僕の役目は波多野菜央の目標を一つでも叶える為アドバイスとサポートをすること。ベストな状態でパフォーマンスができるようコーディネートする事。仕事をとってきてビジネスとして成立させること。一人でも多くの人に波多野菜央の歌を楽しみにしていただく事。おやおや?ハッピー娘が口癖のように言ってることとリンクしてきました。必ずしもプロの方だけに就くのがプロデューサーやマネージャーという訳じゃないでしょ?こんな考えのおっさんもいるわけですよ。ただアマチュアの皆さん勘違いなさるな。今や時代は多種多様。音楽業界もまるで音楽業界という言葉すら当てはまらなくなっている時代です。全く異業種の方にマネージメントやプロデュースしていただくのも面白いかも。業界に精通してなくてもいいんです。ともあれこの人となら二人三脚で転がっていける。そんな信頼できる方とお仕事しましょう。えらそうに口だけ出して何のリスクも背負わない人がほとんどですからしっかり自己責任で。そのためには自分を高めていかないと。今日の所はこの辺でよかろうかい。次回は決め手に迫ります「決心」こうご期待!
写真は最新の春コーデ。モデルさんやファッション系の方にも高評価。上シャツはイタリア製だったかな、小さな花柄が可愛いですよ。オールドなのでいい感じの色に落ち着いています。下のオーバーオールはアメリカ製。いずれも70年後半~80年のヴィンテージ。いつも買いに行く古着屋の社長と古着の山をかき分けてお宝を発掘しました(笑) スケジュールの間の待ち時間もスナップ撮ったり衣装のアイディア出し合ったり。ジッとできない性分なもんで。
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【僕と波多野菜央 ②初めての出会い 待ち合わせは博多駅での巻】
「なぜ僕が波多野菜央をプロデュースしようと思ったか。」シリーズでお送りしている第二弾(笑) 女性友達から「知り合いの娘さんで音楽頑張ってる子がいるので会ってもらえませんか?」って打診があり「あいよ」って軽い気持ちで返事して博多駅で待ち合わせした。それがファーストコンタクト。波多野菜央と言うらしい。今はラインという便利なものがあるのでお互い連絡とって待ち合わせした。「これが私です」と送られてきた写メはアプリ加工で友達と写ってたものだった。見分けがつかないので適当に返事して僕のスケジュールに合わせてもらって博多駅で待ち合わせした。年取ると脳内のメモリーが少なくなって来るのでなるべく余計なことに記憶の容量を割かないようにしている。結局 顔もよくわからないままだがまあ何とかなるだろうと。待ち合わせ当日 夕方の博多駅の人ごみの中 遠くから一直線にこちらへ向かってくる女の子、周囲の人をはね飛ばしそうな勢いでドドドと加速してくる。間違いなくこちらをROCK ON してる。やばい、よけるべきか 受け止めるべきか 逃げるべきかなんて考えてたら僕の目の前で急ブレーキかけて止まった。「初めまして!波多野菜央です!」元気のいい挨拶。ど、どうも初めましてと挨拶して一緒にCDをプロデュースしたアーティストさんのLIVEにいった。演奏が始まってすぐライブ聞きながら横でいきなりの号泣。まるで泣かしたみたいじゃないかい。おそらく喜怒哀楽の表現が豊かなんだろう。そしてとにかく元気がいい。初対面の人とでもガンガン話す。エネルギーの塊。そのエネルギーや感情が身体から「ダダ漏れしている」というのが率直な第一印象だった。制御の利かない機関車、暴走列車という表現がぴったりか。帰り車で送りながらいろいろ話した。で、一度歌を聞いてあげましょう。ということになり後日再会。場所は公民館の会議室を借りた。弾語りなので生歌でいいし、駐車場代かからないし、何よりも安いから。初めて波多野菜央の歌を聞いた。良いものも悪いものも何でも引き寄せる吸引力、 明るく元気のいいキャラ、個性的な歌詞、中域がまろやかで低域成分がパンチのある類をみない声質、どれも個性にあふれている。何よりも聞いてるこっちがめっちゃ元気になった。「ダメダメでしょ?」と波多野菜央は言った。確かに技術的なものはまだまだだが、そんなもんはちゃんとした環境下で練習すれば誰だって上達する。それよりも.... 彼女の奥深くで影を潜めている本当の「波多野菜央」が薄目を開けてこちらを見ているのがわかった。ぞくっとした。この感覚、そう今から20年前 とあるアーティストと出会った時と同じ感覚。正直 この時まで僕は油断していた。だらけきった感性で横になりながら適当にあしらえる相手では無いことにこの時 気付いた。我に返るといつでも刀が抜けるよう刀のツバを親指でクンと前に出してつま先立ち正座で右手を柄に添えている状態と言えばその時の僕の心理状態を理解していただけるだろう。ごくりと唾を呑み込み一瞬にして数十年ぶりに本気モードにスイッチが入った。たいがいのアマチュアアーティストは、僕が本気モードになる前のアイドリング状態で音を上げるので今回もギアを入れないニュートラルな状態の予定だったがそうはいかなくなった。なるほど 彼女の周りを取り囲んでる状況、人間関係どれも彼女の中の本当の「波多野菜央」を起こして解放するまでには至ってないのか。詳しく話すまでもない、恐らくの範囲ではあるが全て察知できた。そうか、それであいつは僕に「どうにかしてあげて」と言ってきたのか。いや、むしろその本当の「波多野菜央」から「おい、お前が三四郎か。お前なら相手してやらんでもないぞ。」と言われてる気がした。たぶん波多野菜央とここで出会ったのは運命、「この子の面倒を見なさい」という事なんだろうと。でも僕自身確かめたいことが多々あった。僕がアマチュアアーティストと関わるということはその人の人生を左右する事にもなる。慎重には慎重を期する。あくまでも本人の前では平穏を装いながら、週一でレッスンすることにした。彼女の駄々洩れしているエネルギーを「表現」に変えていけばきっと素晴らしい大きなアーティストに成長する。確信があった。こうして出会った僕たちは「特訓じゃ!」の日々を送ることになるわけだ。うん、今日の所はここらでよかろうかい。次回、「プロデュースとは?」をお楽しみに。
写真は自撮りスナップを撮る波多野菜央。スナップは打ち合わせや現場ごと新鮮なものをたくさん撮影してストックしていくよう指示、本人チョイスの後二人でいつでも使用できるように共有しています。
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【僕と波多野菜央 ① 誰やこのオッサンの巻】
「なぜ僕が波多野菜央をプロデュースしようと思ったか。」他のミュージシャンや業界の方からもよく聞かれることですし、波多野菜央はあんな得体のしれないオッサンといて大丈夫なのか?騙されちゃいないか?と波多野菜央のお知り合いの方もご心配でしょうからこの辺で僕の事と波多野菜央との関わりなどお話ししたいと思います。たくさんの切り口から説明することでいろいろな立場の方にもご理解いただけるかなと思いますのでシリーズ化で(笑)。まず私は自分で制作事務所を立ち上げている人間です。イベントや音楽系エンタメ系に関する事は何でもやります。外に看板は出してません。自分でやりたいと思ったこと 知り合いや以前からのお付き合いのある方とのお仕事が中心です。社長さんですか?と聞かれますが「社」ではありません。個人事務所個人事業主です。なので「代表」という肩書です。一人でやっておりますからアウトソーシングが得意です。プロデューサーさんですか?と聞かれれば「そうです」と答えます。まあプロデューサーなんて名刺にプロデューサーと書けば誰でもプロデューサーですし、怪しい仕事ランキングがあれば恐らく上位にくい込むのではないかと。あ、巷のプロデューサーの皆様失礼いたしました。あくまで僕の話なので気になさらずに。でもほとんどの方はプロデューサーやらディレクターやらマネージャーやら区別のつく方はあまりいませんのでスタッフの方ですか?とかなんでも呼び方はお気になさらずに声かけてください。先日もイベントで「ご父兄の方ですか?」とか「保護者の方ですか?」とか聞かれましたし、毎回必死で否定する波多野菜央の姿(笑)が面白いのでうなずきながらニコニコしております。もうこの際親戚のオジサンでもいいかと。とはいえ正式な肩書は波多野菜央のマネージャー兼プロデューサーです。何卒お見知りおきのほどよろしくお願い申し上げます。さて本題に。経歴から紹介いたしますと音響会社や楽器店 レコードSHOP スタジオのアルバイトからスタートしLIVE HOUSE設立から運営、インディーズ事務所設立とアマチュアプロデュース そのころからマネージャーやらディレクターやらやってまして、前東京の事務所勤めの時はプロアーティストのマネージャー プロモーション オーディション等 年間を通じてたくさんのプロ・アマチュアアーティストと関わりました。新人発掘、育成サポートなどもさせていただいておりましたので年間多い時で500~700組くらいのプロ、アマチュアのLIVEを見たり曲を聞いてきました。来年で業界歴40年ですので聞いたオリジナル楽曲の数になると数えきれないです。皆さんご存知のあーんなアーティストやこーんなアーティストももしかしてサポートしてたのかもしれませんよ?(笑) 僕らの仕事には「守秘義務」なんてややこしいものがある関係上、墓場まで持っていかないといけないことも多々という事でご容赦を。前会社を退職し自分で事務所を立ち上げ音楽系の専門学校の非常勤講師やイベント制作を請け負ったり番組制作をしたりプロモーションのお手伝いをしたりしながら現在に至るってな感じです。その中でなぜ「波多野菜央」を直接プロデュースしマネージメントをしようと思ったか。 次回はその辺に触れていきましょう。
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【歌の力 ✖ 文章の力】
脚本家 葉月けめこ先生にライナーノーツを書いてもらった!
以前の STAFF ROOMで 「レコードを買ったら先にライナーノーツを読む派です。」と書きましたが そう レコードや CDのブックレットにはライナーノーツなるものが 掲載されてたのです。「ライナーノーツ」って何? という方もいらっしゃいます。これも時代の流れでしょうか。ブックレットの構成は 前書きのようなライナーノーツ、(解説文的なもの。アーティスト紹介的なもの形式は様々)。目次、歌詞、そしてクレジットがあとがき的なポジションでしょうか。それと商品説明や権利関係 品番やメーカーによる注意書きのような部分で構成されています。ライナーノーツは主に洋楽などを日本で発売する際には結構な頻度で掲載されていました。邦楽、今でいうJ-POPで掲載していたアーティストもいらっしゃいましたが 最近ではあまり見なくなりましたね。波多野菜央の アルバム「太陽と月」では絶対にこのアルバムの魅力を様々な形で購入された方に伝えるべく「聞いてよし:音」「見てよし:写真」「読んでよし:歌詞とライナー」と コンセプトを練る段階からライナーノーツを掲載することを考えていたので ほぼ 全曲 形が見えた段階でサンプルを作成してとある方に聞いてもらいました。そう今回依頼した 脚本家の 葉月けめこ先生です。北九州 戸畑区出身 「いきなり作詞ができてしまう本」や「北九州の逆襲」の著者でもあり 何よりNHK TVドラマ「You May Dream」の脚本を書かれている あの葉月けめこ先生です。共通の友達は多数いましたが 僕とはシーナ&ロケッツの ご縁で仲良くさせていただいたのが始まりでした。それと何より書かれる文章の力強さと繊細さ。 無法松の心意気 いいものはいい 嫌いなものは嫌いというロックスピリッツあふれる文章タッチ 北九州 出身 シーナさん絡みでのご縁 と、くればこの方以外に適任者はいません。やり取りしながら音を聞いていただきライナーノーツを引き受けていただいた際には 波多野菜央とハイタッチしたのを覚えています。原稿をいただきやはり間違いなかったと確信。波多野菜央というアーティストと作品「太陽と月」を見事に表現していただきました。波多野菜央 宛にいただいた応援メッセージでさえ 波多野菜央が「家宝にする」というくらい素晴らしい。心強いエールをいただきアルバム「太陽と月」はより深みを増すことになります。けめさんありがとうございます! 葉月けめこ先生のライナーノーツは本公式ページの「ライナーノーツ」から全文をお読みいただけます。
写真は美しい葉月けめこ先生
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【1ST AL「太陽と月」制作ノート NO7】
「21」そのまま「にじゅういち」 僕と出会った時の波多野菜央の歳。若さは何物にも勝る宝であり武器だとあらためて痛感させられる歌でもあります。東京で事務所に所属していた昔なら 「Twenty one」とか「TWO ONE」とか歌詞を変えさせられたかもしれませんね。日本語がダサいという理由だけで。(笑) ぐしゃぐしゃのギターストロークで「にじゅういち!にじゅういちいいい!」と歌う彼女に確固たる決意を感じました。こんな歌初めてです。もちろん手を加えるわけもありません。そのままギターをかき鳴らすようアドバイスしました。そのぐしゃぐしゃのリズムの中から エスニックなグルーブを引き出したかった。グロリアエスティファン・マイアミサウンドマシーン、マドンナ、久保田早紀の異邦人?いや違う何とも無国籍でリズムがグルングルン回るようなイメージ。ラテンパーカッションの波の中で波多野菜央が「にじゅういち!」と歌う姿がはっきりと見えた。アレンジャーの末松氏にイメージを伝える。いやあ 彼とは長い付き合いですが毎回 困らせて申し訳ない(笑) しばらくして上がってきたラフは僕らの想像を超えるサウンド。そしてストリングスにBIG アイドルのバックや海外でも演奏をされているバイオリニストの加来洋子さん。デジタルではない生の弦。ギュイン!というすさまじくも切ない哀愁を帯び澄んだ伸びのある音。最初の出音で僕の前にいた波多野菜央がへにゃへにゃと座り込んだのを覚えています。どう?菜央ちゃんこれが一流のプロの音だよ。間のあたりに体験させてあげられた事は彼女にとって非常に大きな財産になるでしょう。ギターのカッティングとコードもアレンジャーからアドバイスをもらいながらこの「21」は完成しました。このHPにもショートVerの動画をUPしてます。また天神のCSビジョンでも2月中 放送中です。ばったりと出くわしたあなた、天神のど真ん中で「にじゅういち!」と叫んでくださいね。
「21」は アルバム「太陽と月」に収録されています。
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【一生懸命とは】
先日 波多野菜央 卒論を提出いたしました。無事 下関市立大学を卒業できそうです。
音楽の世界 エンターテインメントの世界をテーマにしたアニメや映画などを見ると「学校で落ちこぼれのアウトロー的な主人公がギターで才能を開花し、のし上がっていく」「不良達がスポーツや音楽で更生していく」というストーリーが多い気がします。僕もあまり人のことは言えませんが(笑) 世の僕と同年代の方々もギターを持っているだけで「不良」と言われていた時代を経験されたのではないでしょうか。 時代は変わり若者たちの生活様式も変わり生まれながらにしてデジタルやITに接している今では音楽ビジネスも価値観から根本的に様変わりしています。前に述べた「音楽は不良たちのモノ」から「日々の生活の中に空気の様に存在しているもの」に変わってきました。しかしながら どんなに形が変わろうと表現方法が変わろうと人が作る作品ならばそこには「思い」が宿っているはず。そして大事なのはそれを伝えようとすること。先日 波多野菜央 と下関市立大学へお伺いした際に感じたものはまさに伝えようとする思い。先生方やスタッフのみなさんが学校の為に学生の為に「何かできないか」と模索する「一生懸命さ」でした。波多野菜央 もまたゼミを休まず大学に通い、レコーディングやライブのリハーサルの合間をぬって はたまた移動の車の中でパソコンを広げ卒論に向かい合う姿には「一生懸命」という言葉があてはまります。パソコンの光に照らされ疲れて寝てしまっている彼女の横顔をみながら僕もまた次の世代に何を伝え残したらいいのかを自問自答しておりました。あの時代の不良たちも音楽を通して一所懸命「何か」を伝えようとしていたのでしょうね。努力は必ずしもその人の望む結果を与えてはくれませんが、一生懸命に生きていくことは必ずその人の心を満たしていくことと信じてやみません。使い古された死語に近い言葉ですが「一生懸命」波多野菜央 と共に頑張らせていただきます。 写真は 下関市立大学 経営企画グループ経営企画班 小山先生とスタッフの皆様 経済学部 桐原ゼミの桐原教授 と。お忙しい中ありがとうございました。
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【 1st AL「太陽と月」制作ノート no 6 】
「間違いも正解もないよ アクセル踏み込んだまま飛び込め」 この歌いだしの1行を見たときにこれは女性の書く詞じゃないという印象をうけた。 プロデュースするときに女性とか男性とか意識しないようにしてるが これにはガツンとやられた。 いや ぶん殴られたという表現の方が適切かもしれない。タイトルを見ると「REAR」と書かれてある。「REARって何て読むの? リアルだと最後はLだよ」いやらしい大人の誘導尋問。「いえ リアです。REAR リアカーのリア」 東京でゴミを拾う活動をしている若者の団体名 リアプロジェクトからいただいたらしい。まだ僕と活動を始める前に東京でもライブジョイントしたという。REAR=牽引する 引っ張るという意味もある。その同世代の行動力に随分と触発されたらしい。しかし「REAR」... とにもかくにも最初は妙な違和感でムズムズしていた。しかしレッスンで曲を数回通して聞いていくうちに曲の力強さに機関車のイメージが湧いてきた。煙をモクモクとはく蒸気機関車 SL だ。無骨ながら荒々しい、先頭でぐんぐん引っ張っていく力強さ。電車じゃない新幹線でもない。SLだ。僕もプロデュースの視界が広がっていった。なるほどこれだけストレートの剛速球を投げられたらど真ん中で受けるしかない。アレンジャーの末松氏には70年代の匂いのするシンプルなバンドサウンド、ギターがギュンとくるようなヤツを頼んだ。 となれば 菜央ちゃんにはエレキでしょう。それもテレキャス。「えっ?エレキギターとか弾いたことないです。」「うん じゃあこれから弾こう」 はい持って帰って練習。 で 初エレキギターがレコーディングとなったわけです。しかし この時すでに僕の頭の中ではLIVEでエレキを弾く波多野菜央がででんと仁王立ちしておりました。弾語りシンガーソングライターがアコギしか弾いちゃいけないなんて誰が決めた。 波多野菜央も「間違いも正解もないよ~♫」と歌っているではありませぬか。 そしてアルバムのトップを飾る1曲目の座も「REAR」はゲット。同時に写真をSLの前で撮ろう! そして 今回のレコ発 オープニングSEにバンドのメンバーに「TRAIN KEPT A ROLLIN」~ 「REAR」の流れをお願いしたわけです。
「REAR」 アルバム「太陽と月」1曲目に収録されています。
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1月27日 北九州編 2月2日 福岡編 無事終了しました。ご来場されたお客様、スタッフの皆様 ありがとうございました。
北九州編では、開演出番直前に感極まって楽屋で泣いている波多野菜央がいまして そんなアーティストは前代未聞です。「まだ早い ww」と会話しました。しかしそれを動画で自撮りして 公式のFacebookページにUPするやつもこれまた珍しい。毎回 新しい発見があって退屈しないです。
LIVEが終了し、メンバーとサウンドプロデューサーの末松氏を加えささやかな打ち上げをさせていただいたきました。反省ポイントやアドバイスもいただきながら 笑い話や裏話 楽屋落ちの話で終始笑顔の打ち上げとなりました。
しめの挨拶時には挨拶だけでなくメンバー 一人一人に直筆の手紙で感謝を伝えておりました。マネージャーが書くよう指示したわけでなくこのハッピー娘は 自然なふるまいの中でこういうことをする娘なんです。
で、 最後に「これは浅川さんに、これからもお願いします!」と大きな生花を!
びっくりした! そして嬉しかったな。
大人数のスタッフがいるわけじゃなく、波多野菜央と二人三脚でバタバタやってるので二人とも日々慌ただしく駆け抜けてきた。LIVEまでも早かった。でもこうやって相手のことを思う気持ちに余裕があるなんて 僕の方が何倍も経験値もあるのに なんてことだ。 ちょっと恥ずかしい気持ちとそれを上回る喜びで胸がいっぱいになった。
エンターテインメント業界に入って来年で40年になります。たくさんのアーティストをメジャーとして世に出し アマチュアアーティストを育て関わってきました。でもどのアーティストも唯一無二。かわりなんていません。オリンピックの演出に関わるアーティストから 小さなBarで胸を打つ歌を歌い続けるアーティスト、結婚して子供を抱っこしながら旦那様と音楽活動を続けるアーティスト、違うジャンルで頭角を現しているアーティスト、趣味として音楽を続け 日々満員電車に揺られ家族の為に汗を流してる奴ら。彼女、彼らとの出会いは僕の宝物。
そんなアーティスト達と同様、波多野菜央は僕と出会った。星の数ほどいる人々の中で。波多野菜央 僕と出会ってくれてありがとう。
どこまで行けるか楽しみだ。
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昔 町の商店街に小さなレコード屋さんがあった。なけなしの小遣いをためて レコードの発売日に店が開くのを前で待っていた。「あら 三ちゃん早いね。まだ荷物ほどいてないけ 待っとき。」店内で 他のレコード物色しながら おばちゃんがレコードを検品して新しい外側のビニールに交換して いろんなチラシと一緒に屋号の入った袋に入れてくれる。待ち遠しくて 「そのままでいいよ」って何度言ったことか。
小走りで帰っていると2軒隣のシーナさんの実家が営んでいた洋装店から「さんちゃん 何買ったと?」って悦子ねえさんがひょっこり出てくる。見せるのが恥ずかしくて「ないしょ」って言いながら家に飛び込んでステレオの前に正座した。
そ~っと ジャケットから盤を出してプレイヤーの上に乗せる。まだ我慢、先にライナーノーツを読む派だった。歌詞や翻訳された日本語詞を読んでクレジットを隅から隅まで読んだ。「おおっ!!ギターは、あの人やん!」思わず声がでる。古いステレオだったから手で操作するタイプ。震えながら針を落とす。大きなウーハーが前後に動く、スピーカーから海の向こうの音がした。アンプのLとRの針が触れるたびに心臓がビートを刻んだ。部屋の灯りを決してステレオのぼんやりとした青白いあかりを見つめながら正座したまま動けなくなることもあった。ジャケットの隅から隅まで眺めた。本棚はいつしかレコードの収納場所になっていった。
時代はCDになった。僕は聞く側から作る側になった。
いろんなアーティストが 汗と涙を流しそれをCDという作品にした。あの時と同じように ジャケットやレーベル クレジットやブックレット その一つ一つにアーティストの人生が詰まっている。「どこを切っても血の出る音楽」昔 ロッキンオンだかミュージックライフだったかで読んだアーティストのインタビューを常に心にとめている。
波多野菜央のCDを 販売していただいている ボーダーラインさん ファンファンさん 店に入ると宝の山!
ほおっておいたら1日中物色してるだろうな。
CDの売れない時代になったという。
そうじゃない。CDが売れないじゃなく CDを聞けなくしてるんだ。若い世代の生活スタイルにあわないじゃなく 経費の効率化でCDそのものを作らなくていいようにしてるんだ。
みんなもう一度 CDを買おう。 レコードを買おう。
そのパッケージ自体が アートであり作品でありメッセージだから。
波多野菜央 の「太陽と月」、隅から隅まで熱い血のかよったCDです。だからこそ ボーダーラインとファンファンに販売をお願いしました。
みなさんぜひ店頭へ足を運んでください。遠方の方は ぜひ 通信販売で 波多野菜央 の 「太陽と月」をお買い求めください。こんな時代だからこそ 彼女の歌が必要だと切に思うのです。
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1月27日 門司赤煉瓦ホール
2月2日 福岡 キャバーンビート
波多野菜央
レコ発ライブ メンバー紹介。
キーボード ピアノ
米倉 雅紀 Yonekura Masaki
今回のメンバーの精神的支柱!福岡の音楽シーンの核。お世話になっているミュージシャンは プロ アマ問わず たくさんいるのではないだろうか。大きく包み込むようなプレイでアーティストからの信頼も抜群!彼がいる事でドンとバンドと演奏が落ち着きます! 菜央ちゃんからも 熱望されておりました。僕も是非 ご一緒したかったこの方!! ピアノ キーボード 米倉雅紀!
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波多野菜央 レコ発ライブ メンバー紹介
Drs 友池 悠二 Tomoike Yuji
今回のCDの楽曲をレコ発ライブとしてプレイ、再現でき、繊細かつダイナミックなリズム、同期モノにも対応できて 僕のワガママに付き合ってくれるドラムをイメージした時に真っ先に思い浮かんだのが 友池くんでした。業界のA&Rを経験し 現役プロデューサーでもあり アーティストを温かくサポートする信頼できる男。
最近では Cafe&Dining ママノスのオーナーシェフ(福岡市 城南区 別府)としても大忙し。僕が 「波多野菜央のドラム叩いてよ!」と 電話した時も 「浅川さん、今 鶏さばいてるんで 後でかけ直していいですか (^_^;) 」とあたふたしてました 笑 クールで 頼りになるドラマー。 Cafe&Dining ママノス ぜひ一度食べに行かれてください。 ん? 何か変なまとめ方?
1月27日 門司赤煉瓦ホール
2月2日 福岡 キャバーンビート
ー、よろしくお願いします!
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波多野菜央
レコ発 ワンマンライブ
1月27日 門司赤煉瓦ホール
2月2日 福岡 キャバーンビート
メンバー紹介
ギター 深草 昌司 Fukakusa Masashi
18歳から2年間、福岡スクールオブミュージック専門学校のギター課で理論や基礎を学ぶ。Jennifer Batten,Tony MacAlpineから師事。
20歳から23歳までフリーで演奏や講師として活動。数々の賞を受賞。 24歳から32歳まで約8年間、北九州のテーマパークSPACE WORLDにショーギタリストとして契約。 Rock,Jazz,Fusion,Samba,Latinなど数多くのジャンルをこなし、2年目からバンドマスターに就任。ギターだけでなくコーラス、メインボーカルとしても活躍。8年間での総公演数は約3000公演以上にも及ぶ。
リハで感じたのは 音楽に対するその真摯な姿勢。
アーティストの曲に対して敬意を払いながら ギタープレーを絶妙にアプローチしてくる素晴らしいプレイヤー。
アルバム「太陽と月」でも2曲弾いてくれております。
変幻自在に 波多野菜央を盛り上げてくれる。マーシー、よろしくお願いします!
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波多野菜央 レコ発ワンマンライブ
サポートメンバー紹介
Bass バンマス
中島 崇 Nakasihma Takashi
CMやイベントタイアップソング 企業サウンド から アマチュアミュージシャンのプロデュース メジャーアーティストへの楽曲提供やアレンジと多方面で活躍中。メンバーの中最年少ながら さらなる成長をして これからの福岡の音楽シーンを担ってもらいたいとこのツワモノメンバーのまとめ役をお願いしました。頼んだよ なかしー (^^
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【1st AL 制作note 番外編1】
波多野奈央の最後のアコギ演奏と歌録りが終わった。泣きながら ブースから出てきた…「これで終わりなんて寂しいよー」泣 泣 ( ; ; )いろんなアーティストのRECをプロデュースしてるが、こんな セリフを聞いたのは波多野菜央が 初めてだ。ほとんどのアーティストは ようやく終わったという 安堵感の方が強いんだが。RECが 楽しかったんだね。初めて体験するREC、それも業界の最前線で活躍するプロとの作業それを楽しいと思えるなら君も根っからのアーティストなんだろう。それを引き出してくれた我がブレーン達には感謝しかない。RECはゲスト関係の録音、MIXやマスターリング、パッケージなどなど作業はたくさん残ってる。さあ 菜央ちゃんもうひと頑張り。
【1st AL「太陽と月」制作 NOTE 1】
初めて波多野菜央に会った時に感じた事がある。それは、内面に秘めたすごいエネルギー。周りを巻き込む引力のような不思議な感触。潮の満干きにも似た大きなうねりのようなもの。太陽のような笑顔と時折みせる憂いを帯びた表情だった。 陰と陽 対極の内面は、光が強ければその分 影はくっきりと姿を表す。
やがてレッスンを重ねるうちにそれは楽曲にも色濃く現れるようになった。
CDを作りたいと相談を受けた時には既に僕の中に「太陽と月」という大きなキーワードがあり 波多野菜央と話し アルバムのコンセプトにすることを決めた。
本物の太陽が まだドンとあぐらをかいていた10月頭 我が盟友Yossey Uchino が 新作「水星 note」を引っさげてツアー九州入りしてきた時、ヤツの世界感の中にも似たような匂いがすることもあって 待ってましたとばかりに シンボライズを頼んだ。11月 ツアーを終えた 自称 歌う行商人から届いたシンボルを 無事 波多野菜央に渡すことができた。渡す前に Ananda「宇宙曼荼羅アート」Fujimi さんの手により さらなるパワーを注入されて。このシンボルとコンセプト、どんな風にアルバムで表現されるか ぜひ 楽しみにしてほしい。
波多野菜央が 北九州の 福岡の 太陽と月 いや 次の世代の音楽シーンの 太陽と月になる最初の作品を 今 生み出そうとしている。